彼の血族や側近まで惨殺する彼の冷酷無比な性格は、幼少時に複雑な金正日一族の環境の中で育った事に始まった。
日本生まれの母「あゆみ」の立場と執念が、正恩に受け継がれたか。
血族までを皆殺しにする理由とは何?
日本生まれの母は、4人の側室の内の1人
出典:http://hottopic.chinatimes.com/20160116003030-260803
父親は正妻以外に、公表されているだけで4人の側室がいたが、その内の1人が高英姫(コウヨンヒ)金正恩が20才の時の2004年にすでに52歳で他界。
早すぎる死には訳があったのです。
母親は大阪の鶴橋生まれの在日朝鮮人二世でした。
喜び組の接待役の1人となった時に金正日に見初められ、金正成の愛人として最も寵愛を受けていたが、在日の母は身分が最も低い扱いでもありました。
幼少時、母親以外の母親が他に4人と異母兄弟がいる事や、母親の目を通して金一族を見聞きして育ち、幼いながらも敏感に感じ取っていた可能性は高いです。
金一族の家系図
出典:http://sakurajadehouse.com/?p=35335
生まれる前から血族の闘いは始まっていた
身分が低く、正妻ではない事もあり、金日成ファミリーの中で彼女は複雑な思いをしていた事は充分考えられます。
毒殺された成恵琳(ソンへリム)金正男の母よりは、年齢が16歳若い踊り子だった日本生まれの正恩の母は、「あゆみ」と正日に呼ばれ寵愛を受けていました。
ソンへリムは、正日のその心変わりに心労のあまり重度の精神の病になり、モスクワの鉄格子に閉ざされた病院に幽閉されてしまいました。
ソンへリム入院中の間は、正恩の母はファーストレディーの待遇を受けた時期もあり、正日の側近に近づき正妻の地位を得るための糸口を見つけていたという。
彼女が46歳の時(金正恩14歳の頃)、乳がんの診断を受け、片方の乳房を切除を言い渡されが乳房切除する事で、正日の側室の女としての地位が危うくなると判断した彼女は、医療陣の切除の強い勧めを断ったのでした。
それぞれの女達がそれぞれに、お世継ぎとファーストレディーの地位を巡って、水面下での戦いをしていたのは想像に難くない事ですね。
それは日本の江戸時代の大奥のごとく、嫉妬と権力争いが渦巻く世界だったのかも知れません。
金正恩の幼少期
出典:http://www.sankei.com/premium/photos/160315/prm1603150003-p1.html
普通の子どものように自宅で暮らしていたが、スイス郊外のインターナショナルスクールへ進学。
名前は、北朝鮮大使館職員の息子として、パク・ウンの偽名で入学していました。
そこではっきりと自分のファミリーと他の寮生達の家族形態が、普通ではないという事に気づいた筈です。
多感な時期に異国の地に留学をしていたので母親と一緒に過ごす時期は少なかった。
正恩が20才の時、最愛だったと思われる母親と永遠の別れをした事で、無念だった母の執念を引き継いだのか、彼の心の闇が表に出たのはこの頃からではないでしょうか。
後に金正恩の後見人であった、温和な外交をする叔父張を惨殺、その息子2人や直系の親族までが全員処刑にしたのでした。
そして国民には徹底した忠誠を誓わせ、少しでも疑いの可能性のある者は、妊婦も子供も芽を潰していまうのです。
異母兄の正男への嫉妬
父の金正日は人妻だった人気女優を略奪して側室にし、生まれたのが異母兄の金正男でした。
正男も9歳の時からスイスに留学していました。
自国しか知らなかった彼は、やがて父の理念に疑問を持つようになってきたのです。
国家元首としての父は先軍主義、正男は先ず経済の優先ありきと、自国の飢えに苦しむ子供達に、安い米を買い付け送っていたのでした。
しかし正恩の母コウヨンヒは金正日に正男は国外逃亡を企ていると、まことしやかに耳打ちをしたのだとか。
その後、正男の母親ソンへリムは亡くなり、モスクワで埋葬された墓地でたった一人号泣していたと伝えられています。
出典:http://kobayakawashunichi.blog.jp/archives/1064400194.html
2011年に反目だったが父正日の死が決定的となり、完全に後ろ盾を失ってしまう事になりました。
北朝鮮との混乱の時には、利用価値があると庇護していた中国にも見捨てられ、最後は正恩に庇護を乞い、「私や家族を助けて下さい。」と手紙を書いていたのです。
しかし正男は幼少時、祖父の日成・父正日が誕生日に1億円を掛けて世界中からおもちゃを集めたほどの溺愛されていた。
可愛がられていたこの金正男に対し、正恩はずっと嫉妬心を持ちながら成長したそうです。
正男の末路
09年4月には、金正男が側近と一緒にパーティーを開いた平壌市内の別荘ウアム閣を急襲されてます。
情報機関である国家安全保衛部に異母兄の勢力を完全に潰す指令を出していたのです。
異母兄正男は、正恩からの攻撃は他に何度もあり、命の危険を感じていたのでした。
正男には正妻2人と愛人3人の間に異母兄弟8人の子が確認されてます。
父親以上の女性関係が災いしたのか、実はその中の愛人が工作員として北と通じていたなどとは知るよしも無く、毒殺されてしまいました。
現在、用済みの工作員の愛人は、北朝鮮で幽閉の身になっているそうです。
金日正ファミリーで、世襲の可能性を持つ者は全て根絶やし、惨殺か軟禁状態。
自分の北朝鮮国家主席としての地位を脅かす存在の芽は、全て潰したのでした。
考えられない怖い歴史です。
世界最年少の国家元首
出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20160903-00061777/
父・金正日氏が余命が間もない時、正恩氏はほとんどその経験がないにもかかわらず、負けず嫌いな性格が本領を発揮し、軍事指導者への道を急速にのぼり詰めました。
同じ先軍主義であるが、父親以上の極みですね。
2011年12月17日、金正日氏が心臓発作で他界すると同時に、正恩氏は世界で4番目に大きい軍隊、核兵器を持つ世界最年少の独裁国家元首となりました。
こうして母に誇れる我が世の春を収めたのではないでしょうか。
まとめ
すでに排水の陣を迎えてる金正恩は、「暴君ネロ」に匹敵する独裁者に登り詰めるまでに、こうした父金正日一家の歪んだ生い立ちが多大な影響を与えてきた可能性は高いですね。
この暴走を父の金正日と祖父の金日成は、あの世でどう思っているのでしょう。