歴史的米朝首脳の会議の場所に選ばれた楽園の様なシンガポールのセント―サ島。
実は第二次世界大戦に日本軍の捕虜収容所があり、現地では背後から「忍び寄る死の島」と呼ばれていました!
セントーサ島とは
豊かな自然に恵まれている島全体がリゾート地。
シンガポールのセントーサ島は、かつて旧日本軍の捕虜収容所があった場所です。
歴史的な米朝首脳会談が開催される会場は、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜収容所があり、「背後から忍び寄る死の島」と呼ばれたシンガポールのリゾート地である。
この島は現在、平和と平穏を意味するセントーサと呼ばれる。
シンガポールではこれまでも、主要なサミットが行われてきたが、セントーサ島では一度もない。同島は、ビーチやホテル、カジノやユニバーサル・スタジオがあることで知られる。
米国と北朝鮮は、厳密に言えば、いまだ戦争状態にある。
両国は、中国と共に、朝鮮戦争(1950─53年)を終わらせた休戦協定の調印国である。
トランプ米大統領は、朝鮮戦争を正式に終結するための文書に署名する可能性を示唆している。
シンガポールはセントーサ島全域を米朝首脳会談のための「特別区域」と宣言。
セキュリティーチェックが強化され、交通も制限される可能性がある。また拡声器やドローンの使用も禁止される。
シンガポール本島とは、道路やモノレール、ケーブルカーでつながっている。
「セントーサ島への出入り口はたった1つしかなく、もしそれが完全に閉鎖されれば、大いに不便になることは確実だ」と同島の女性住人は語った。
かつては墓地であり、マレー語で「背後から忍び寄る死の島」を意味するセントーサ島は1970年代、埋め立てにより拡大され、観光地として開発された。
Newsweekより抜粋
セントーサ島の場所
第二次世界大戦中、イギリスの植民地支配であったシンガポールは1942年~1945年の間、昭南島(しょうなんとう)という名前がついていました。
イギリス人軍兵士は、1942年、シンガポール陥落後日本軍の捕虜となり、過酷な使役から多数の死者を生じたという過去には悲しい歴史があった場所でもあります。
出典:毎日新聞
シンガポールは、年間を通して高温多湿な常夏の国で日本との時差は1時間です。
出典:旅pad
現在セントーサ島は、近年レジャー施設が多数開発されてシンガポールの重要な観光スポット。
島の北側に遊園地や水族館、島の南側はビーチが続いているリゾート地です。
シンガポールが今回、米朝会談に負担する費用は約16億円で、内約半分を占める警備関連のほか、報道対応などがあるという。
カペラホテルとは
2009年にオープンし、設計された5階建ての建物は植民地様式と現代様式の美を調和させたホテルです。
カペラ・ホテルには、英王立砲兵連隊の将校らの宿泊所として使われた植民地時代のバンガロー2棟のほか、連隊の食堂があった。
ホテルのウェブサイトによると、将校らは、日本軍の侵攻を前に食堂に面した場所に銀を埋めたという。
その後、一部はマレーシアによって回収されたが、「残りの行方はいまだ不明であり、芝生の下に眠っている可能性がある」とウェブサイトには記されている。
カペラ・ホテルは、シンガポールの資産家、クウィー家が経営する不動産開発会社ポンティアック・ランド・グループが所有する。昨年、リッツ・カールトン初代社長のホルスト・シュルツ氏から買い取ったものだ。
客室112室のほか、スイートルームやヴィラやマナーハウスもある。ベッドルームが3部屋ある植民地時代のマナーハウスの宿泊費は1泊1万シンガポールドル(約83万円)。このほか、ホテルの敷地にはプール3つやテニスコート、スパがある。
Newsweekより抜粋、
熱帯雨林に取り囲まれた12ヘクタールの手入れの行き届いた敷地内からは南シナ海を望めます。
まるで楽園のようですね。
銀の埋蔵伝説もありますが、歴史を遡ればミステリアスな土地かも知れません。
カペラホテルは過去には歌手のマドンナやレディー・ガガが宿泊していました。
出典:朝日新聞デジタル
一度は行ってみたいですね。
北朝鮮の無茶ぶり
一方こんな一幕も、経済制裁により外貨不足に悩む北朝鮮が宿泊費の肩代わりを求めていたという。
米国務省のナウアート報道官は記者会見で、「米政府は北朝鮮代表団のために宿泊費を支払うつもりはない」と語った。
仰天!宿泊費の肩代わりを要求していたんですね。
史上初の米朝首脳会談では、どの様な合意を得られるのでしょうか。