5月30日、都内の映画館行われた上映会に登場し、31日発売の「LIVEinfini」のライブ映像に。
昨年の紅白で33キロの体重が話題になり、初めて元気な姿を見せましたが・・・
高橋真梨子と大ファンという司会者
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ミッツマングローブとのトークショーでご主人ヘンリー広瀬との馴れ初めや、コンサートでの会話でマネージャーに怒られた事などユーモアのある談話だったようです。
昨年後半は公演やディナーショーが続き、体重体力ともに落ちたので今年は活動は調整しているもよう。
今週末から始まるツアーで無理しないでほしいですね。
激ヤセの原因は重度の更年期障害
更年期障害が自信喪失にさせた様でした。
あのプラチナチケットの高橋真梨子が、自信喪失とは信じがたいですね。
20年ほど前にめまい、手足のしびれ、ホットフラッシュ、ウツになり外に出る事ができなくなったり、コンサートを中断した事が2度あったそう。
「仕事が生きがいでしたので…仕事ができなくなるんじゃないか、生きていけなくなるんじゃないか…」
提供:http://terebisuki72.xyz/?p=761
仕事に支障をきたし色々な症状に悩まされ、自信喪失になり激ヤセにいたった様でした。
公私ともに支えてきたミュージシャンの夫・ヘンリー広瀬氏(72)は、そんな高橋真梨子栄養面を考え食事を作ってたという。
そして太陽に当たるといいと聞くと外へ連れ出したりとサポートをしたようです。
またその頃から、子供のころのトラウマが現れる様になったそう。
壮絶で辛かった生い立ち
高橋真梨子は、原爆が落とされた戦後4年が経った広島に、一人娘として生まれました。
1歳半のころ、朝鮮戦争下で米軍基地が多くジャズが盛んであった博多へと家族で移り住む。
父親は、ジャズバンドのサックス奏者で活躍していたが、数年後に難病の為、両足壊疽で切断に。
激しい痛みの為泣いている父親の姿、その痛みどめのモルヒネ代を稼ぐために水商売をする母だった。
両親の離婚で父親は広島に帰りクラブでジャズプレイヤーをしていたが、被爆が原因で39歳で他界してしまう。
最愛の父親を助けてあげる術もなく、子供心に深い悲しみが染みついてしまったのでしょう。
一方で彼女を引き取った母親も、広島の爆心地から2Kmの所にいた為被爆者でした。
「母との思い出は……いい思い出は、あんまりなかったんですね。いつもいつも一人ぼっちで…」
父親が病気に苦しんでいる頃からずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中で家に呼び寄せたりする母親とはうまくいかなかったのだという。
この頃に孤独とさびしさが一段と増すようになったのではないでしょうか。
そんな心を支えていたのは音楽で、憧れていたのは当時スターザ・ピーナッツだったそうです。
中学生の時には大好きな父親に会いに時々逢いに行き、歌手になる夢を話すと賛成してくれたのですが、
「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい。」
とアドバイスしてくれた事が、音楽の道へ進む後押しとなり父親の影響は大きかったのだと想像がつきます。
その矢先、39歳で帰らぬ人となった。高橋真梨子15歳の時でした。
16歳で上京
その年齢では消化しきれない程の、深く悲しいキズを残したと容易に想像できますね。
出典:https://www.uta-net.com/song/4549/
伏し目がちな独特の歌い方が出来上がったのは、人知れない寂しさと愛情に飢えていた幼少期を経験してきたからかも知れません。
16歳で上京したが、そりが合わず複雑な思いをしてきた母親とは長く疎遠であった。
晩年ガンが発覚してからは、短い間であったが最後まで一緒に暮らし、看病する事ができたようです。
僅かでも一緒に暮らして、1つでも心を軽くする事が出来たならよかったですね。
記事まとめ
155㎝で32~33キロは、さすがに生きていくのに限界レベルなのでは?…と心配です。
とても歌える程の体力もないのではないでしょうか。
美味しいものを沢山食べてまずは体力をつけてゆっくり体調を戻してほしいですね。