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時間がとまる?酒井抱一が陶酔させる秋の花鳥図

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金屏風の雅な世界と掛け軸の優美な風情、どちらも時間が止まってしまう程ため息ものの秋の花鳥図とは、、、

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得意の秋草と月の屏風作品

秋草鶉(うずら)図

金地の2曲1隻に、月光を浴びて華やぐすすき、桔梗、萩、女郎花等の秋草越しに5羽の鶉が戯れる様子

出典:https://matome.naver.jp/odai/2136909904464115101

秋草に月は、弟子の鈴木其一や江戸琳派に多く見られる作品ですが、抱一は草花の優美な曲線越しに月を描く風情ある表現が多い。

月に秋草図屏風

金地の六曲一隻には、銀泥が変色して濃い青の月に、更に神秘をました月と伸びて広がる葛の葉

出典:http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-607.html

繊細な構図と色彩表現が際立っていて、なおかつ華麗で雅な風合いを感じさせます。

流水四季草花図屏風』 

金箔の春秋2組の内の左隻2曲1双

出典:http://www.goldgilding.com/blog

金箔・金泥・銀泥や青や緑の色あざやかでとても高価な顔料をふんだん使えたのは大名家の大きなバックが付いていたから。

こんなに見る人の心をつかんで離さない抱一とは、

酒井抱一 1761年~1829年

すでに生まれた時から芸術には恵まれてる環境でした。

武家のサラブレット家系に生まれながら、世襲する事はできず絵画の道を究めます。

神田小川町の代々の姫路藩主の父酒井忠仰と、十八松平の大給(おぎゅう)松平家から嫁いだ、母里姫との間に生まれた次男。

酒井家は元々、武士の嗜みにと狩野派の手解きを受けていたが、固執する事無く江戸城大手門前の酒井家藩邸は、各界の文化人を招きよせるサロン状態であった。

実は、抱一とは100年ほど世代が違う光琳が、かつて酒井家に仕えており、その作品が残っていたことも抱一に大きな影響を与えたのでした。

当然、師弟関係はないけれど光琳を私淑していたのです。

尾形光琳の風神雷神の裏に描いた『夏秋草図屏風』

光琳の絵の裏に抱一が描いた絵なんてすごい屏風ですね。しかも裏表に関連性を付けてです。

左隻が風神の裏で風になびく「秋草図」 右隻が雷神の裏で、降らされた雨に打たれた「夏草図」の関係を表現した4曲1隻

出典:http://benrido.co.jp/blog/?p=2125

光琳の風神・雷神の裏に描かれていたが、現在は保存の為に切り離し別にされている。

草花の向きで風や雨を表現したり、季節を感じさせる卓越した技術以上に、幼少時より磨かれた感性が見ていて飽きが来ませんね。

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晩年の集大成『十二か月花鳥図』の連昨

金泥や金箔の屏風の様な華美さはないが、やわらかい風合の掛軸作品でに関連した作品。

抱一には4つの「十二か月花鳥図」シリーズがあり、こちらは宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵の内、9月・8月・7月

葉の変色具合のグラデーションを、たらし込み技法を生かした繊細で優雅な作品ですね。

10月・11月・12月

出典: http://isabea.web.fc2.com/art10/hoitsu/houitsu.html

構図の作り方や配置、余白の取り方は絶妙で上品です。

ずっと見ていられるほど時間を忘れてしまいますね。

抱一は、丸山応挙や伊藤若冲などの技法も取り入れ、洗練され叙情的な作風が次第に確立していき、江戸琳派の創始者となりました。

まとめ

四季の草花の色・向き・空間の取り方の達人抱一が、もし花を生けても素晴らしく完璧だったんでしょうね。

こうして後世迄残る花鳥風月の名画を見る事ができて感動です。

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